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2002/08/25 (日)

2002/08/25 (日)

住民基本台帳ネットワークの本当の問題を語れ(要旨)
 本文はこのしたにある文章なのですが、異常に長文になってしまいました。これでは、読んでもらえるか疑わしいですね・・・
 ただ、今日はこれを推敲する時間がなくなってしまったので、最初に要旨のみを述べておきます。時間のあるかたは下の本文を読んでみてください。

 僕の伝えたかったことは、3つの章にわけて構成しています。

 最初に、現状の議論についてふまえています。いわゆるプライバシー侵害の危険と、それをおそれて大した情報をネットワーク化しないことによる無駄遣いとなる危険の2つです。
 そして、この2つを検討するに、無駄遣いとはいえても、プライバシー侵害は実際には問題にはならないのではないかと主張します。

 次に、実はこの2つの問題点の議論はプライバシー侵害については将来のことを心配しているのに、無駄遣いのほうは現在の制度を前提としている以上、かみ合っていないのではないかということを問題提起しています。
 そして、そのような議論は政府、反対派のそれぞれの都合によって意図的に論点をはずされていると考えます。

 最後に、かみ合った議論をすると、どのような結論になるのかを考えます。もっとも、はっきりとした結論には至りませんでした。ただ反対しておけばいいと言う、単純な問題ではないと考えるからです。

 ま、そんなところです。時間を割いていただける方は、つづけて本文をどうぞ。

住民基本台帳ネットワークの本当の問題を語れ

<1序論>


 さて、現在ネット上をにぎわしている(少々旬はすぎた嫌いがあるが)住民基本台帳ネットワーク、これを読んでいる方はどのようにとらえているのであろうか。

 もちろん、様々な意見があってしかるべきだとは思うのであるが、ネット、あるいは世論の主流は「断固反対、阻止すべき」というものが多いように感じる。

 僕も、あるコラムを読むまでは、そのような意見が(無関心派を除けば)知識人層のほとんど100%をしめると信じていて、自分でも(まあ、僕が知識人かどうかはともかくも)「プライバシーなどの問題から、基本的には反対すべき」というスタンスに立つべきと単純に信じていた。

 そのような意見をもって反対している権威あるサイトは多く存在する。
 例えば、国民共通番号制に反対する会(櫻井よしこ氏代表)や、日弁連のHPの声明文、インプレスのレポートするシンポジウム「住民基本台帳ネットワークシステムを考える」あたりを読むと、反対派の議論の多く、その雰囲気が明確だ。

 ただ、具体的に読み進めていくと、今ひとつ物足りない点が多い。

 それは、「確かにプライバシーは侵害されそうな気がするが、現段階ですでにその程度のプライバシー侵害は起きており、今更問題にするような危険はないのではないだろうか。また、あまりに抽象的な危険ばかり言って、具体的な不利益を述べていないのではないか。」という疑問である。

 思うに、今の段階では、例えば銀行が口座番号で、あるいは警察が免許証の番号で、そのた名簿業者が・・・というように危険と思われるプライバシーの侵害の危険が多く存在している。もちろん、ネットワーク化されていない段階の住民基本台帳だって、年金や保険の情報をもともと帯びているわけであるから、その地方自治体内では、不正利用の危険は常にあったわけだ。
 しかし、我々は、それらのプライバシーの危険と引き替えに、便利さや安全を享受してきたために、今回のような批判は押さえられてきたわけである。もちろん、どの情報もハッキングの危険はあり、しかし問題になるようなハッキングが散発的にはあっても、致命的なものは、いまだ起きていないことにも注意しなくてはならない。
 つまり、新たにネットワークをつくったところで、よりプライバシーが漏れたり不正利用されたりするような危険が増大するというのは考えがたい。危険な個人情報ネットはすでに世の中に氾濫しており、個人のレベルでは合理的に考えるとそれほどの危険はないのである。
 しかも、住民基本台帳ネットワークは批判をおそれていわゆる住所氏名などの4情報のみしかネットワーク化しないこととされており、現在の世の中で危険視されているクレジットカード番号や、警察による免許証関連づけデータなどと比べると、ゴミのような情報ともいえる。これが漏れることで具体的な不利益が大して考えつかないのはしょうがない。

 このような点から住民基本台帳ネットワークが危険だというのは幻想だと喝破するサイトが池田信夫のドットコミュニズムのコラムなどである。ここでは反対派の一部があまりにネットワークについて無知であることなども批判している。本稿を考えるきっかけとなった。
 他方、反対派の中でもネットワーク専門家の伊藤氏(ネオテニー社長)のサイトも紹介しなくては不公平だろう。こちらで主張しているような政府による危険人物の格付けが進む、という言説には、一定の同意をせざるを得まい。
 もっとも、これも多くの人間にとっては無関係な話であろうし、「政府」が一体となって反政府の人間を陥れるということは概念論の世界ではあり得ても、システムとしてそのようなことが組織的に行えるのかは疑問に思わざるを得ない。危険情報を収集してくるのは警察であるとすれば、結局今とかわらない効率でしかないからである。市町村の自治体が危険人物情報をあげてくるとは考えがたいし、市町村に指示を出すような不正は大規模なだけに実現は困難である。

 結局、僕の感想としては、現段階の情報(氏名・住所・性別・生年月日の4情報、住民票コード及び付随情報)のみをネットワーク化したところで、新たに明白な現在的危機は訪れないのではないかというのが正直なところである。

 もちろん、反対派もこのことはよくわかっているようで、「将来の付加情報による危険性」を主張するのが多くの論調だ。


 ただ、前述の池田氏および多くの反対論者は、プライバシー侵害の危険以外の問題点として、「その程度のネットワーク化では大して利益が得られない以上、無駄遣いではないか」と2つめの問題を指摘する。これは現段階の4情報プラスαのネットでは気づかない方がおかしい問題点である。

 つまり、論点は1.プライバシー侵害、2.無駄遣いの二つになってくるわけだ。



<2反対派と総務省、両者の欺瞞>


 そして、これを並べてみると、多くの反対派の議論のご都合主義が浮かんでくる。
 現段階では大した情報がないとすれば、プライバシー侵害の危険を喧伝する必要はないはずである。つまり、2.の無駄遣いであるとの点だけが問題になるわけだ(この点、池田氏はそのような一貫した議論を展開する)。

 他方で、将来の情報が付加される事による危険性を主張するのであれば、豊富な情報をもつ住民基本台帳ネットワーク化の将来の利益についても比較検討するのが公平な議論と言うものではないだろうか。

 この点、確かに総務省はここで述べているように大した利点を「現段階では」述べていない。
 しかしこれは、将来の予定の具体的列挙により、国民の間に1.のプライバシー侵害の危機感が増えることを危惧したものではないかと推測する。
 実際には、現在住民基本台帳に載っているすべての情報は将来ネットワーク化されるのであろう(年金、介護保険など社会保障一般はすでに住民基本台帳上はデータ化されている)。 さらには、納税のみならず、一般社会においても、クレジット申し込みなどの際に名前や電話番号とならんで記載を要求されるようになるのかもしれない(アメリカの社会保障番号制度はそのように進んでいると聞く)。それは、本人確認という煩雑な手続を容易になす事ができるため、便利だから皆が使うようになったものである。
 また、現在自治体により分断されている社会福祉の状況が中央で把握できるようになれば、あるいはより効率的な福祉社会へと進むのかもしれないだろう(少なくともいわゆる左派が主張するような福祉を進めていくならば、このようなシステムなくして効率的な富の再分配ができるのかは疑問である。)


 さて、このように考えたとき、個人的にも、行政効率的にも、それなりの情報を載せれば、かなりのメリットがあると考えてよいはずである。
 これは、「住民票がどこでもとれる」などというばかげたシステムに官僚が「約400億円の設備費と毎年約200億円の運営費(ドットコミュニズムより)」を投じるとは思えない以上、政府もこのような将来像を想定していると考えてまず間違いないと推測できる。


 したがって、真の議論をするのであれば、この将来の利便性と、将来のプライバシー侵害の危険をはかりにかけるべきなのである。


 とすれば、現在さまざまなところで論じられているような議論はすべて「建前だけのうわっつらの議論」にすぎないのではないかと僕は危惧してならない。それらは自分の都合のよいことばかりをプロパガンダ的に並べて、主張しあっているにすぎないからである。真の危険と、真の利益を計りにかけていない以上、そうなのである。



<3利益と危険のてんびん>


 それでは、真の危険と、真の利益(すなわち、いままで述べたような将来における高度なプライバシーのネットワーク化を前提としたもの)を考えた場合に、危険が勝るのか、利益が勝るのか。

 これは正直、普通の市民にとっては、とりあえず利益がまさるのではないかと僕は見ている。なぜなら、危険と思われるプライバシー侵害はすでに述べているように現在もあり得るのであり、ずさんとも思われる銀行情報の扱いや警察情報の恐怖などにも関わらず、今でもそのもたらす経済的利益・安全保障を享受する方を我々は選んで生活しているからである。ねらい打ちされて悪用されない限り、一部の被害者を除けば、多くの国民が利益を受けるのである。

 これは他方、ねらい打ちされうる表現者や反体制の人間、反政府側のものにとっては、被害がさらに大きくなるという危険を孕んでいるものである。また、ネットワークのソーシャルハック(地方自治体の担当者による機密漏洩)などで、部分的に被害をうけるものも当然甚大な被害があることになる。
 しかし、そのような被害は「高度な安全保障」「高度な利便性」を望んだ場合の当然の被害ではないだろうか。

 要するに、「多くのみなさんは様々な利益を受けるが、自分が反体制的立場になった場合は不利益がおおきいですよ、また、自分の不注意や偶然の事故(担当者の故意の漏洩など)により犯罪の標的になった場合は、被害甚大ですよ。」ということなのである。
 それは、多数の利益と少数の被害を比べる点において、通常の福祉主義対自由主義の対立の範疇を越える問題ではないだろう。

 僕の基本的なスタンスは自由主義優先の考え方であり、表現の自由を重視すべきという「表現者」としての考えを持っていたいと考えている。
 したがって、今でも十分便利な世の中であるから、(自分がねらい打ちされうると考える以上)あまり好ましい制度とはいえないと言わざる得ない。
 しかし、このネットワーク化が、社会福祉の効率化に役立ち、普段の生活を便利にしうるものであり、脱税を防ぐための方策となると考えると、本当に多くの国民が反対するような性質のものであるのかは疑わしい。
 ほとんどの国民には利益に働く制度だと考えられるからである。

 にもかかわらず、現段階で国民の不信感を募らせているのは、政府、反対派がともに実際のネットワークの目的や効果を隠しつつ、嘘の議論を展開している点にあるのではないだろうか。
 それを国民が本能的に感じ取り、いくつかの地方自治体が不参加表明をしている結果として現れているわけである。
 これは日本の民度が政府や啓蒙主義的な反対派が考えるよりも高いことを意味しているのだと考えたい。ぜひ、政府も反対運動推進者も、そのことを考えて、より誠実な、より効果的な議論を展開してほしいものである。