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2002/09/12 (木)

2002/09/12 (木)

心臓移植について
 日本、3
 アメリカ2198

 この数字はなにを表しているのか。



 これは、国別の心臓移植手術の数(2000年)である。ちなみに2002年にはこちらのページによればすでに2件の手術が行われているが、もちろん諸外国に比べれば圧倒的な少なさである。


 ここには様々な要因(国民性など)が絡んでいると思われるが、一概に日本が遅れていて、アメリカが進んでいるなどとはいえない。
なぜなら、肝臓などと異なり、心臓移植はドナーが脳死状態にあることが前提であり、ここには、脳死に関して、本当にそれを死と認めるのか、あるいは、認めたとしても、何が脳死なのか、という深く厳しい問題が横たわっているからである。(現に生体肝移植については高い技術を要するにもかかわらず、日本はトップレベルにあることが脳死問題のこの国における深さを物語る。)


 もっとも、このように文章を続けていくあたり、この問題を考えるとき、僕は自分をレシピエントよりはドナー(提供者)の立場として考えてしまっているようであると気づく。
 要するに、病院に運ばれて、自分が脳死(らしい)状態だったときに、臓器を提供するのかどうなのか、という問題だととらえているわけである。これを僕は三人称の移植問題と呼びたい。


 しかし、一旦自分の近しい人間(あるいは自分自身)が、病気などで心臓を悪くして、移植か、しからんずば死か、という状況になったとき、僕は臓器移植の問題についてどうかんがえればよいのか。すなわち、一人称、二人称の移植問題である。

 生かしたい(生きていたい)、できる限り正常な生活に戻らせてあげたい(戻りたい)と思ったとき、心臓移植がもっと容易にできればいいのに。なぜ、日本ではほとんど不可能なのか、おかしい。と、日本の医療制度をなじることになるのだろうか。

 ここで現状を考えてみると、14年7月1日現在で心臓移植の希望者数は62名、原疾患別 では、拡張型心筋症48名などが主なものとなっている。そのうち、Status(優先順位にかかわる、
厚生省保健医療局長通知参考)1が28名、Status2が30名、Status3が4名となっている。

 確かにこのように少数の人たちに自分がなることはほとんどあるまい。
 だが、確実にこれらの移植待機者は存在する。そして、これらの人たち(またはその近親者)については、ドナーの脳死の問題よりは、自分の、あるいは自分の近親者の死の問題の方が、強く感じられるはずである。
 そして、僕は近親者ではないものの、間接的な知人がこの問題(移植をしたわけではない)に直面しているという事態に当たって、自分の移植問題への考え方を改める必要があるのではないかと考えた。


 したがって、移植の是非(ここでは心臓移植の是非に絞って考えていくが)について考えたことを数日にわたり書いていきたいと思う。
 すなわち、一人称〜三人称の移植の問題を包括的にとらえて、自分の移植に対する考え方を検証しようと思うところである。
 さらに、移植の他の救命手段であるところの、人工心臓、バチスタ手術などの方法の現状についても考えてみたいと予定している。